江戸時代の心太(トコロテン)売り |
いよいよ夏ともなれば「手造りところてん」が爆発的な売れ行きとなります。
有難うございます。
メルマガにところてんのうんちく話、記載しました。
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江戸末期の書物『守貞漫稿』によれば、夏になると京、大坂、江戸の
三都にトコロテン売がいて、テンツキで突き出して売っていたとあり
ます。
また、京坂では買った人が砂糖をつけて食べ、江戸では砂糖をかけたり、
醤油をかけて食べるが、京坂では醤油を用いぬ、等々の記述があります。
江戸の昔は、トコロテンを清水の湧き出る池で冷やしたもので、
・あさら井や小魚と遊ぶ心太 一茶
の句を生みました。
・水よりも見てすがすがし心太 丁知
・水の香の腹にしみるや心太 山誓
・夕立にをどり出けんところてん 許六
トコロテンは、猛暑に涼を得られる食べ物として喜ばれたものでした。
十分冷やしたところを、「テン突き」で突きだして、玉うどんの太さに
なったのを酢醤油で食べました。
また心太売が、テン突きで突き出している絵をかかげ、江戸と京大坂の
三都では、夏季に売ると紹介し、さらに江戸と京坂の呼び名の違いを説
いています。
つまり江戸ではトコロテンの乾物も、再びそれを煮たのも「寒天」といい
ますが、京坂ではトコロテンを寒夜にさらしたのを「水鈍(すいとん)」、
乾したのを「寒天」、再び煮たのを水鈍といいます(再び煮ればトコロテン
ができる)。江戸では水鈍というのは、うどん粉を団子にして味噌汁に入れ
たものだといいます。
また江戸では「心太価二文、寒天四文、或ハ砂糖ヲカケ或ハ醤油ヲカケ」
て食べます。
京坂では「心太一ヶ一文、水鈍二文、買ヒテ後ニ砂糖ヲカケテ之ヲ食ベル
ガ醤油ヲ用ヒズ」とあって、江戸と京坂とでは、呼び名や食習にかなりの
差があったようです。
江戸は寒天の移入地ですから値の高いのはわかります。しかしトコロテン
の値が京坂の二倍もするのは、トコロテン屋が原草を煮て作るのでなく、
寒天から作っていたことを示すものでしょう
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